相撲神社(番外編 白鵬を見た!)

奈良の桜井には相撲発祥の地と伝えられる相撲神社がある。

説明板を読まなければここが相撲発祥の地とは思えない。知らなければ小さな公園と思って通り過ぎてしまいそうだ。

約2000年前、垂仁天皇のころ、大兵主神社神域の小字カタヤケシにおいて、 野見宿彌(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)が、日本最初の勅命天覧相撲を行った。これが日本の国技である相撲のはじまりとされている。

 

(番外編) 大阪にて相撲稽古を見学する機会があった。

横綱白鵬が大阪府大東市の湊部屋で春場所のため大阪入り後初の出稽古で、新関脇照ノ富士、平幕逸ノ城らと稽古をする場を見学させてもらった。

最初は実業団相撲の方や照ノ富士、逸ノ城が稽古していたのだが、ハアハアという力士の肩で息する喘ぎとビシッというものすごい体のぶつかる音が響いてそれだけでも初めて見る私には驚きであった。白鵬が入って来ると稽古場の空気がピント張詰めたのが分かった。横綱が一人で又割りしたりテッポウをやるだけで異様な雰囲気に包まれる。体の締りも見事で稽古も圧倒的な強さを見せてくれた。(写真は白鵬と逸ノ城の稽古の様子:NHK以外の各社カメラマンは全員締め出されたので貴重な写真と動画です。)


(ちょっといい話)白鵬が入門前の2000年秋にどこの部屋にも入れずモンゴルに明日帰らなければならないという時に、実業団相撲を持つ摂津倉庫の現会長が世話してくれて今の白鵬があるということで、大阪に来た時には会長への恩を忘れずに摂津倉庫の稽古に顔を出しているということらしい。



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こんなところに 崇高な神社が!

大名持神社

吉野川河岸の形の良い妹山の山麓に鎮座する神社です。本来は神殿はなく、神体山を祀っていたと言います。貞観元年(895年)大和地方では春日大社の次に正一位の神階を授けられた神徳崇高な神社です。残念ながら当時の面影は無く訪れる観光客はほとんど見られない状況になっています。

ガイドブックにも載っておらず私も、幾度もこの道を通っているのに神社らしきものがあるな程度の認識しかなかったのです。

妹山の麓にある会社の事務所で話をしている時、ふと昭和天皇の写真が見えたのでこれはどうしたのですか?と尋ねると天然記念物に指定されている妹山樹叢に昭和56年に御幸された際の写真と伺い、その際に大名持神社のお話を聞くことができました。

壬申の乱の際に大海人皇子が吉野に逃れたり、南北朝時代に後醍醐天皇が南朝を開いたりと天皇とも深い関係がある土地なのに神格の高い神社があまり知られていないと言うのは言いようもなく淋しい。


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薬師寺 山田管主のお話

薬師寺の山田法胤管主とお話しさせて頂きました。

話が盛り上がって予定の時間をかなり過ぎてしまいましたがその中から三つほど興味深い話を紹介します。

陸上自衛隊第3師団は千僧駐屯地に所在しているのですが、千僧という地名は行基菩薩が新田開発のため昆陽池を造成した際に犠牲者の供養のため多くの僧(=千僧)による供養の大法要を行ったことから千僧との名前になったと教えてもらいました。

広目天(80円切手になっている四天王)の話になり、あの眼はどこを見ているのか分からないですねと言うと管主は「広目天はあの眼で全てを見ているのです。右手に筆を左手に巻物を持っているでしょう。貴方の全てを見通して記録をつけているのですよ。」と言われ会津八一の歌『ビルバクシャ 眉根よせたる眼差しを まなこに見つつ 秋の野を行く』を引用された。(広目天の梵名:ビルバクシャ)大量のお経を覚えているだけあって凄い記憶力をお持ちなのだ。すぐ人の名前を忘れてしまう私には真似できないと思いました。

私は絵を描くので、建物は写真が撮れるのですが仏像は写真・スケッチ禁止となっているのが残念ですねと言うと、三脚使って写真撮ったり他人の迷惑になるのでしょうがないとのことでした。今まで仏像に対して失礼になるから写真を撮ってはならないのだと思っていたので認識を新たにしました。


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奈良瑠璃絵最終日

奈良瑠璃絵の最終日に出掛けた。

いつもは閑散としている奈良の冬だがこの間、特に最終日とあって物凄い人出である。至る所で光のイルミネーションが人々の足を止めている。昨年も全ての会場を回ったので、今年は短時間でポイントとなる場所を足早に回る。

大仏殿の観相窓が開く機会は少ないのでしっかりと目に焼き付けておく。南大門の像もライトアップされていつもよりハッキリと浮かび上がるように見える。

花火が始まる前に何とか全てのポイントを回り終え、春日野園地に着いた。花火が始まると周りからワ~と歓声が上がる。冬の花火も良いものだ。バレンタインデーでもあるためかハート形の花火も上がっていた。

花火が終わった途端、皆が春日野園地から出ようとしたので、東京で満員電車通勤をしていた頃を思い出した。また明日からいつも通りの落ち着いた街に戻るのだ。


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夜神楽(奈良瑠璃絵)

奈良瑠璃絵に出掛ける。

春日大社着到殿にて夜神楽をやっているらしいので見に行く。

奈良県宇陀郡御杖村に伝わる桃俣獅子舞保存会の夜神楽だ。実は今年のある新年会にて見たことがあったのでちょっと様子を見て帰ろうと思って立ち寄った。

最初に「伊勢大神楽の流れをくみ、鈴や剣、荒回し、背継ぎなど10演目を今日まで伝えている伝統のある神楽なのだが、桃俣は過疎化・高齢化が進み限界集落に近づいているが村外の方の協力もあり、先祖から受け継ぐ地域の宝を何とか残すことが出来ている。」と説明があった

新年会でゲスト参加として舞った神楽と同じなのだが春日大社の歴史ある建物の中でしかも夜の幻想的な雰囲気の中での神楽を見て立ち去りがたく結局1時間終わるまで見ていた。

14日の最終日までやっているので是非とも皆さんに見てもらいたいと思ってアップしました。


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紀元祭(橿原神宮)

橿原神宮で行われた紀元祭に行って来ました。

初代天皇と言われる神武天皇の建国創業の御聖徳を景仰する祭典で、勅使御参向のもと皇室より御幣物が奉献され、全国からおよそ5千名もの参列者で賑わっていました。

昨年は大寒波により震えながら参加したのだが、今年はとても暖かい気候の良い1日で、とても厳かな雰囲気の中で粛々と式典が進みました。

その後、直会があり皆様と楽しい時を過ごすことができました。

開始前には警察が要所を固め、右翼の街宣車が集まっていましたが、帰るころには右翼の車もほとんど見かけないいつもの橿原神宮前に戻っていました。

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面白い看板

寒いので遠出する気になれず、近くを散歩してみた。福智院は通勤経路上にあり毎日の様に見ているが拝観したことがないので寄ってみた。

境内も小さいのであまり期待はしていなかったが、本堂の本尊は日本で最大の地蔵菩薩で台座も含めると6.6mもある存在感のある地蔵菩薩像であった。誰も拝観者がいないため、係りの方が10分ほどかかりきりで説明をしてくれた。一人で満足いくまで見ることができた。京都だとこうはいかない。僕が奈良を好きな理由はこんなところにもある。

新薬師寺の隣にある鏡神社に寄って、白毫寺に向かう。まだ椿は咲いていないので後日また来ることにして戻る。

この道は5回近く通っているが面白い看板があることに気付かなかった。国鉄指定 嫁入道具専門店とは驚きの看板!!


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地震発生

年に1回の舞鶴地方総監部主催の会議に参加し、本日は海上自衛隊第23航空隊で説明を受けていました。その時、ピーという警報音の後、「徳島にて震度5強の地震発生!」と一斉放送があり、緊張が走りました。

説明を中止してエプロンに行ってみると、既に本日の説明用に準備してあったヘリが機体の準備を整えて、速やかに偵察のため離陸しました。説明者は機体の説明はできませんがと言っていたが、むしろ機体を見るより実際の任務の現状を確認できて良かった。

第一線で黙々と任務につく隊員に感謝を込めてアップします。


節分に世界遺産を巡った

今日は代休をもらって節分を有意義に過ごした。

昼には、官舎から歩いて3分ほどの元興寺の節分会に出掛ける。普段はほとんど人がいないのだが流石に今日は入場制限をしなければならないほどの人出であった。本堂の前で結界を作って一連の行事が行われている。圧巻は山伏による護摩焚である。火をつけると暫くの間は物凄い煙が辺りを包み何も見えない状況であった。突然火が付くと寒い境内が暖かくなる。これが燃え尽きるといよいよ火渡りだなと楽しみにして待っていたのだが、実際は炭の上に木を渡してその上を渡るので思ったよりも迫力に欠けた。

夕方から東大寺の二月堂に出掛ける。

東大寺では1400の本堂内での法要の後、二月堂下の法華堂前広場に設置された特設の舞台から豆撒きを行う。昔は二月堂からやっていたらしいが安全管理が厳しくなり特設舞台からやらなければならないのは残念だ。

1800から星に「除災与楽」を祈る法会である星供養を行う。

二月堂までの灯籠に火がともり幻想的な道を歩くのだがほとんど人に出会わない。観光客向けの行事ではなくあくまでも法会なので静かな中に粛々と法会が進んで行く。風格さえ感じさせる流石は東大寺。

東大寺の星供養の後、急いで興福寺へ!

丁度、追儺式が始まったばかりであった。

除災招福・病気平癒を祈願する法要のあと、東金堂前庭に設営した舞台の上で、三匹の鬼が登場して暴れだす。その後、毘沙門天が鬼を退治するというストーリーである。小さな子供たちには怖いのかあちこちで泣き声が聞こえる。

節分の日にいつも通りの散歩コースでこんなに色々な行事を見ることができて、改めて奈良に住んでいることを感謝する一日であった。

円成寺に行った。

先週に引続き今日も、自転車で円成寺に行ってきた。

距離は13kmほどだが9kmは登りばかりでなかなか行く気になれなかった。自転車で行ける場所にはほとんど行ってしまった。残っているのは円成寺のみになっていたので運動不足解消と思い出掛けた。

とても寒い日だったが、1時間もすると汗でぬれてきた。あと4kmのところで流石にきつくて帰ろうかとさえ思ってしまった。とりあえず休憩して何とか到着した。

苦労した分素晴らしい古刹に辿り着いてうれしかった。楼門の前に池がありとても珍しい造りである。

ワクワクしながら拝観受付に行くと係りの人がとても丁寧に説明してくれた。

運慶の初期の大日如来坐像や春日大社の式年造替で移設した最も古い鎮守社があったりとなかなか面白い。

本堂に入ると内陣の柱に描かれている極彩色の菩薩像が目に飛び込んでくる。少し色あせた感じがとても面白い。誰もいないのでしばらくゆっくりと見ていた。とても満足して寺を後にしたが最後まで拝観者は私一人であった。

寺の前の茶店で遅い昼飯に親子丼を食べた。子供のころ食べた少し甘い親子丼に懐かしさを感じた。会計を済ませて出ようとすると店の主人が「おい兄ちゃんこれ持っていき」とみかんをくれた。ここでは50歳の私もお兄ちゃんなのだ!

帰りはほぼ下りなので冷たい風を切って帰った。少し雪まじりの冷たい風のせいで涙があふれてきた。


ホームページを立ち上げてみた

これまでひたすら奈良の風景画を描いてきた。

宴会のない日は1日4時間ほど描き続けている。

いつの間にかある程度の量がたまった。せっかくなので奈良に住んでいるこの感動を共有したくて、ホームページを立ち上げようと思った。

しかし絵は描けるがプログラムを書く力はない

どうしようかと悩んでいたところ、プログラミングの知識がなくてもホームページを作ることができることが分かった。(便利になったものだ!)

 

写真のJimdoを使うと無料で簡単にホームページを作れるのだ。

初日に登録して基本的な構造を作って、翌日から少しづつ修正しながら数日で公開しても恥ずかしくないほどのホームページを作ることができた。

簡単に修正できるものだから意外と面白くて、毎日少しずつ修正していたためホームページを作り始めて、まったく絵筆を持たない日が1週間ほど続いてしまった。

そろそろホームページ作成を終えて風景画に戻らなければ・・・・・・・

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松尾寺まで出掛けた。

運動不足解消のため自転車で松尾寺まで出掛けた。

天気も良く最初は順調だったが、1時間半過ぎて漸く松尾寺が近くなってきたころだらだらと上り坂が続き辛くなってきた。流石に山中にある寺に自転車で行くのには無理があり、最後は自転車を押して何とか到着した。

寺は日本最古の厄除霊場で1300年の歴史がある。舎人親王が「日本書紀」を編纂される際に編纂の完成と自身の厄除けの願いを込めて建立したのにはじまるらしい。お堂を回ってから鐘をついてお願い事をするらしくひっきりなしにゴーンと鐘の音が響いていた。

三重塔を抜けて更に登って行くと松尾神社があって眼下に広がる景色を見ながらよくここまで上ったなと満足した。