氷室神社 観桜芸能奉納

本日は雨、夕方には氷室神社で芸能奉納があるため雨上がりに浮見堂から氷室神社に向かう。

浮見堂周辺はモクレンが満開で、雨上がりの日差しの中で鹿が楽しそうにしていた。

丸窓梅園の梅は若干残っているがもうそろそろ終わりかな。

氷室神社には1700から芸能奉納なので5分前には到着した。ここのモクレンも満開である。

氷室神社は通常であれば観光客はほとんどいない。東大寺へ向かう途中で、こんなところに神社があると言って通り過ぎる人が多い。ここの桜は奈良市内で最も早く咲くためこの時期は驚くほどの人出になる。

本日は観桜芸能奉納であり見物人も多かった。

また今日も自宅周辺にて充実した時間を過ごすことができた。ありがたいことである。


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春を探して奈良公園周辺を散策

昼から仕事なので遠出はできず自宅周辺を春を探して散策する。世界遺産に囲まれて生活する幸せを再確認させてもらった。

家から最も近い元興寺へ。ここの桜は5分咲きというところか?

元興寺から猿沢池の畔を歩いて南円堂の裏に回る。ここでは満開の馬酔木を楽しむ。馬酔木と南円堂と五重塔を見て奈良らしい雰囲気に満足。

一之鳥居から100mほど春日大社へ向かう左側に観光客はほとんど足を止めないムクロジの木がある。

なんとムクロジの古木の空洞になっている所から立派な竹が生えているのだ。

仏教美術資料研究センターの桜も6分咲き程度か?

奈良公園で開催中の「うまし食彩博」に寄って初代チャンピオンの大和焼きそうめんを食べる。そうめんと言っても普通のそうめんよりかなり太いものだ。量が少なかったので生アンパンを片手に散策を続ける。

公園から三月堂に抜ける途中、ここでも満開の馬酔木を横に見ながら坂を上る。三月堂の桜はほぼ満開で青空とのコントラストが見事であった。

最後に氷室神社に向かう。既に物凄い人出で皆がカメラを片手に撮影に夢中である。9分咲き程度で明日あたり満開かな。

なら仏像館・青銅器館は現在仏像館改修のため青銅器館が無料で公開されているので、久しぶりに入ってみる。無料でこんな凄いものを見ることができるとは有り難い。


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名勝「月ヶ瀬梅渓」を訪ねた

本日は代休をもらって桜の開花宣言が相次ぐ中、今週末には見頃を終えるであろう月ヶ瀬に出掛けた。

古くから有名な梅林で、日本で最初に指定された名勝の一つであり約1万3千本の梅が栽培されている。

月ヶ瀬湖沿いの梅はかなり散ってしまっている。梅の資料館に車を止めて、真福寺目指して山を登って行くと月ヶ瀬橋が綺麗に見える。

本日は全国的に晴天で暖かく雲一つない青空に菜の花と梅のコントラストが目に映える。

天神梅林から帆浦梅林へ梅を楽しみながら歩く。遠くに見える月ヶ瀬湖と紅白の梅が見事。

頼山陽や谷崎純一郎が愛した風景なのだ。

かなり歩くので少しお腹がすいた頃に、串こんにゃくのお店が・・・・、梅味噌をぬったこんにゃくはとても美味しかった。原宿にはクレープ、月ヶ瀬には串こんが似合う。

真福寺の境内に「月ヶ瀬梅林発祥の地」と書かれた案内板がある。 元弘の乱で大敗を喫した後醍醐天皇が笠置山から撤退する際に村人に助けられ,一緒に逃げてきた女官の一人(姫若)が梅を植えて梅の実を使った紅花染め用の烏梅の製法を教えたという。その梅がこの写真の梅らしい。

散策を終え湖畔の里「つきがせ」で日替わりランチをいただく。かなり歩いたのだが串こんとランチでカロリーオーバーしてしまったかな?

最後に竜王の滝まで歩く。ここはあの役行者が修行された場所らしい。なかなか良い雰囲気の滝であった。

 

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奈良三銘椿を巡る

奈良三銘椿とは次の通りです。
 ◎伝香寺の「散り椿」
 ◎東大寺の「糊こぼし椿」

 ◎白毫寺の「五色椿」
幸いにも我が家から歩いて行ける距離にあるため、春のような陽気に誘われて三名椿巡りをしました。

最初に伝香寺に向かいました。この寺は近いのだが幼稚園に隣接しとても狭いため椿以外には興味がなく今までに行ったことのない寺です。この寺は戦国大名である筒井順慶の菩提寺であり、筒井順慶の母が供えた椿が有名な「散り椿」と言われています。桃色の花びらが咲いてすぐ桜の花びらが散るように散ってしまうので、散り際が潔く若くして没した順慶になぞらえて「武士(もののふ)椿」とも呼ばれています。

次に東大寺の開山堂を目指す。残念ながら開山堂は通常は非公開のため入ることができません。四月堂から堀越に見ることができるだけです。「糊こぼし」と言う名は「お水取り」に先立って行に使う造花の椿を作りますが、誤って糊を落としてしまったその様子が庭の椿に似ていることから付いたと言われています。

最後に最も高いところにある白毫寺に向かいます。「五色椿」はその名の通り一本の木に五種類の花をつける珍しい木で奈良県の天然記念物にも指定されています。地上1mくらいのところから二股に分かれていて大きな木です。写真でも三種類は確認できると思います。天気も良くて奈良盆地が一望できとても景色のいいお寺です。

帰り道、ならまちのはずれにある「こるり」というカレー屋さんで少し遅いランチを楽しみました。奈良特有の狭い路地を入った所にある小さなお店でしたが旬野菜をつかった焼きカレーを美味しくいただきました。

 

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鹿せんべい飛ばし大会

毎年1月の第4土曜日に行われる「若草山の山焼き」で有名な若草山で、奈良にシカない!優勝したら世界一になれる!という『鹿せんべい飛ばし大会』が山開き大会として21日22日の両日で開かれている。

参加するには300円を払って鹿せんべいの引換券を購入する。

競技場には鹿がスタンバイしていて飛んで来た鹿せんべいを追って行って食べるのだ。片付けもいらない合理的な大会だ。

頂上で交換してもらった競技用の特大鹿せんべいの大きさは直径約20センチで従来の鹿せんべいの約3倍もある。

これが意外ともろくてすぐに割れてしまうので注意しなければならない。

順番になって投げてみると力んでしまったのか手元を離れた瞬間に割れて数メートで落下した。

奈良地本の60周年を記念して誕生した「りくしかくん」とミス奈良が応援してくれていたのに残念!


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お水取り 補足

お水取りに関する最後のブログです。

 

最初の写真は昨年、練行衆の方から頂いたお札です。

このお札は練行衆が本行の間に十一面観音のお守り「牛玉(ごおう)札」を刷ったものです。次の写真は練行衆が観世音を念じながら刷っているもので小学館「東大寺お水取り」から掲載しました。(内陣の様子は写真厳禁なので)

墨と漢方薬「牛黄(ごおう)」を閼伽井屋で汲んだ香水で溶いたもので「南無頂上仏面除疫病」などの文字が刷り込まれ十一面観音の梵字の朱印が押されています。

とても貴重なお守りらしいのですが、昨年はその価値が正直分かりませんでした。今年はお水取りを体感し新たな感慨を持ってお札に触れました。

 

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お水取り その後

二月堂百人講のS氏から貴重な品が届いた。

ただの紙のように見えるが、実はお水取りの準備期間2月18日に灯明の油を量る「油はかり」で油壷の下に敷いて使用したものである。

火打石で切り出した火で点した常灯という行の中心となる灯明で使う油を納める行事である。

当日は二月堂南出仕口で百人講の方が、二月堂の真っ黒な油壺に菜種油を注ぎ込み、目盛りを刻んだ木の定規を壺の底に当てて量を確認する。油が壺に納めれられると封がされ、さらに油の量を書いた付け札がそれぞれに付けられ、本行がはじまるまで礼堂に置かれるのだ。

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お水取り まさに歴史を体感した!

二月堂百人講のS氏にお世話になり歴史ある「お水取り」を12日から13日未明にかけて体感することができた。(貴重な体験をどのように伝えるか悩み、アップするのに時間を要してしまった。)

観光客は二月堂に松明が上がることがお水取りであると思っている方が多い。かく言う私も奈良に来るまでは松明の写真を見てお水取りであると思っており、昨年は松明を見て満足して帰ったのである。その後は様々な本を読んで今年は全てを見てみたいと意気込んでいたのだ。(お水取りは本来、修二会と言われる二月堂で752年以降、一度も絶えることなく現在まで続けられている不退の行法」である。その中で3月13日未明に閼伽井屋(あかいや)から香水を汲む重要な儀式があるためお水取りと言われている。)

12日夜から13日未明までの最も大切な期間は、お水取りを支えて来た講・社の方のみが二月堂内に入れるのだ。私も百人講のS氏とともに夕方6時に籠松明を見に出掛けた。驚いたことに、既に二月堂の下は2万人ほどが集まっており第2拝観所から見ることになった。かなり遠く全体は見えるが歓声も聞こえず臨場感もなく残念であった。しかし、松明は昨年見たし今年は内陣の様子を見るのがメインであると自分に言い聞かせた。

松明が終わってからしばらくして初めて二月堂に入る。ここは女人結界であり男性しか入れないのだ。(もちろん写真撮影などできない。写真が無いので感動を十分には伝えられないのが残念である。)百人講で納めた油を使った灯明の薄暗い明かりと煙る様子が幻想的な雰囲気を作り出している。

22時頃から「過去帳」が始まり、独特な節回しで過去からの人名が読み上げられる。人が歩く度にぎいぎいと板のきしむ音がして聞こえなくなる。そのため青衣の女人(しょういのにょにん)を聞き落すまいと神経を集中する。(鎌倉時代、練行衆が過去帳を読みあげていると、女人禁制の堂内に青い着物の女性が忽然と現れ、「なぜ私を過去帳に読み落としたのか」、そう言って消え失せ、以来「青衣の女人」と読み上げている。)心配をよそに青衣の女人になるとかなりゆっくりと読み上げていた。それが終わると一段と読み上げのスピードが上がったように思えた。お水取りまでに行が続くが独特の読経のリズムとほら貝の吹き合わせが不思議な空間を造り出して時間の経つのを忘れる。

午前2時頃にお水取りが行われるため30分前に二月堂を出てみると、照明で照らされた閼伽井屋付近には既に見物客が立錐の余地がないほどに集まっていた。照明が消えお水取りの行列が雅楽の典雅な調べとともに大きな篝火を先頭に階段を下りていく。

まさに幻想的な行事であるが閼伽井屋で香水を汲んで3回往復するため1回目で直ぐに二月堂に戻る。

これまで白い戸張に影だけが揺らめき内側から読経の声だけが聞こえていたが、午前3時頃から結界を作っている戸張が巻き上げられる。(帳上げといって20m以上もある白い幕を力強く巻き上げる動作も見ものである。)

走りの行法(実忠和尚は天人たちの行ずる十一面悔過法を見て、これをぜひ下界に持ち帰りたいと思ったが天の一日は人間界の四百年に当るので、同じやり方では時が追いつかないため、走って行を行うことで天界に近づける方法を考えついた。)や五体投地が終わり「火天」「水天」による「達陀の行法」へ移る。

入江泰吉写真集より掲載

練行衆が兜のような「達陀帽」をかぶり内陣正面で水、火、芥子等を不思議な所作で投げ終えると、燃えさかる大きな松明を持った「火天」が、洒水器を持った「水天」とともに須弥壇の周りを回り、跳ねながら松明を何度も礼堂に突き出す所作をする。最後に松明は床にたたきつけられ火の粉が飛び散る。建物の中で巨大な松明を引きずり最後は松明を投げ出すため火事にならないのだろうかと心配しながらも全ての所作に引き入れられてしまった。

 

家を出てから9時間、凍えるような寒さに耐えて漸く戦時中も中止されることなかった不退の行法「お水取り」を体感することができた。やはり14日間も行を続ける練行衆の偉大さを想わずにはいられなかった。

 

松尾芭蕉の句に「水取りや 氷の僧の 沓の音」がある。今まで静まり返った中にカランカランと沓の音が響くという静かな情景を想像していたのだが、「差しかけ」という木の沓で堂内のご本尊の周りを巡る際の驚くような喧騒を聞いてイメージが一新した。現場で本物を知ることの大切さを改めて思い知らされた。

 

私は中学生の頃から「さだまさし」が大好きで、さださんの曲に「修二会」というのがある。正直、奈良に来るまでは何のことか分からなかったが、今この曲を聞くと新たな感慨を受ける。

(一部のみアップしております全部聞きたい方は是非購入してください。)

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春日大社 御田植神事を見た

春日大社で行われた御田植神事を見てきた。

林檎の庭・榎本神社階下・若宮神社前の3か所で、八乙女が松苗を植える所作を行う田舞が、 神楽男の奏する田植歌に合わせて奉納される神事である。

耕す際に黒い衣装を着た牛役がモーモーと暴れたりして面白いが、この後に鍬を持った田男が鍬を入れる。

次に八乙女が出て来て、祭礼した後に田植舞が行われる。3か所で同じ神事が行われたのでそれぞれの場所の写真をアップします。

林檎の庭での神事が終わり移動します。

2回目は着到殿の前で遮る物がないので良く見えました。田植の動作が美しいですね。早苗に見たてた松苗を用います。(枚岡の神が春日の地へ神幸の途中、 白毫寺の宅春日の地で松苗を用い、不作に悩む民を救われた古事に基づく)

いよいよ最後の若宮神社前に移動します。

ここで手を広げているのはすずめのポーズらしいです。

春日大社の巫女さんはみかんこさんと呼ばれており、頭に付けたかんざしも春日大社ゆかりの藤の花である。

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春日大社 花山院宮司との懇談

花山院(かさのいん)宮司とお話をする機会があった。最初に宮司から札幌雪祭りの写真を見せてもらった。今年の雪像のメインは第六十次式年造替と言うことで春日大社であった。しかも今流行りのプロジェクションマッピングまで実施されたとのこと。奈良からは差入れとして牡丹鍋を送ったとのことであった。寒い作業現場で食べる鍋はさぞ美味かったであろう。



春日大社では皇室、国家安泰、震災復興などと同様に海外派遣中の自衛官が無事に帰国できるように毎日6回、年間2200回ほど祈っているとお聞きした

最新式の潜水艦(おそらく「じんりゅう」)の中に神棚を納めるため神戸まで行ったとの話もあった。

伊勢神宮の大宮司とも親しいため護衛艦「いせ」の艦名板は大宮司の揮毫によるものであり、揮毫を頼んだのが元女性海上自衛官の比留間1佐であると教えてもらった。比留間さんは定年退職された後、渋谷の金王八幡宮の権禰宜になっているそうである。

最後に宮司になった時の経緯を伺うと、高校の教師をしていたのに突然、教師を辞めて春日大社の宮司にとお話が合ったそうである。(春日大社は藤原家の家系でなければ宮司になれないため。ご本人は藤原鎌足から数えると47代目の当主)ご本人は教師として責任ある立場にあり、教師としての遣り甲斐も感じていたところであり悩まれたそうである。

明るく明快にお話をされる宮司を前に、教師として若人の教育に携わった方が教育委員会の委員長であり春日大社の宮司であるというのは、奈良県にとってはとてもありがたいことだと思った。


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称名寺まで散歩。

お昼を兼ねて散歩に出かける。いつも通りに猿沢池を歩いていると10名程のグループと思われるご老人方が楽しそうに絵を描いている。

実は奈良県は全国一趣味で絵画をやっている方が多い県なのだ!どこへ行っても描きたくなる様な風景がある。京都だと人が多すぎて邪魔になりとてもスケッチどころではない。やはり奈良は絵を描く人には理想的な街だ。そんな思いで飛天でランチを食べていると、隣に大学生のグループが座り「奈良はイマイチだね。便利が悪いしインパクトに欠ける。京都みたいに洗練されてないよね。」などと勝手なことを言っている。奈良の良さが分かるにはまだ若いかな、勉強しないと奈良の良さは分からないのだと思いながら称名寺へ向かう。

称名寺は茶道の始祖とうたわれ同寺の僧でもあった村田珠光ゆかりの寺である。

ここには「千体地蔵」と呼ばれる石仏群があり、実はかつて戦国武将・松永久秀によって築城された多聞城の城壁に使われていたものらしい。築城に際して石材(石仏もふくまれていた)が集められ、破却から約百年後の貞享年間(1684-1688)に称名寺の観阿上人が城跡付近に散乱していたこれらの石仏を境内に集め、合祀したのが「千体地蔵」のはじまりであるといわれている。

帰りに中谷堂前を通るといつものヨモギ餅の高速餅つきに人垣が出来ていた。(見るだけでまだ食べたことは無いのだが)

洗剤が無くなりそうだったので薬屋に入ってレジに並ぶとここにも爆買いの中国人が・・・、漸く順番になりカゴを出すと中国語で話しかけられる。日本人ですと言うとここは免税レジですと言われ、いつの間にこんなレジができたのかとびっくりした。



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円照寺に出掛けた。

円照寺は「山の辺の道」沿いの奈良市山町にある臨済宗妙心寺派の尼寺で斑鳩の中宮寺、佐保路の法華寺と共に大和三尼門跡と呼ばれる筆頭格の門跡寺院です。
華道「山村御流」の家元としても知られています。三島由紀夫の「豊饒の海」に出てくる「月修寺」のモデルになったらしいです。(恥ずかしながらまだ読んでいません。)

残念ながら非公開寺院のため門までの雰囲気を楽しむことしかできません。

門に至る右側に西国三十三霊場の碑があり趣のある石段を登ると太子堂がひっそりと建っていました。数百m離れた所には崇道天皇陵もありました。やはり円照寺から崇道天皇陵のあいだに誰にも会いませんでした。

雨が降り出したので慌てて市内に戻り、しもみかど商店街の「sankaku」でさんかくごはんをいただきました。よく前を通るのですが入るのは初めて。長い階段を上ると意外に広い場所にテーブルが並び、正面ステージ上の人物画と聞き慣れない音楽が相まって不思議な空間でした。

さんかくごはんはしっかりした味付けで美味しくいただきました。


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自衛隊入隊・入校激励会

ならまちセンターにて各種協力団体と奈良地方協力本部の共催による自衛隊入隊・入校激励会が行われました。

 第1部では入隊・入校予定者を一人ずつ紹介し主催者、国会議員をはじめ来賓の祝辞、防衛大臣と県知事によるビデオメッセージなどの後、代表者の御礼の挨拶で締めくくる厳粛な雰囲気の式典となりました。

 1部と第2部の合間に、昨年入隊した海・空自先輩隊員からの激励メッセージビデオがあり、陸自は八尾から西畑1士が駆けつけ激励してくれました。最後に一昨年の近代五種全日本選手権大会で優勝し昨年のアジア大会で準優勝した五條出身の伊谷2曹が2つのメダルを提げて激励に駆けつけてくれました。(伊谷2曹は激励会終了後、りくしかくんが気に入ってくれて2ショット写真を撮りました。)

第2部は中方音楽隊が激励演奏をしてくれました。海上自衛隊の三宅3曹は有名ですが昨年中方音楽隊にも歌姫が誕生しました。今回は1曲しか歌いませんでしたが、春の定期演奏会ではもっと歌ってくれるはずですので楽しみにしていて下さい。最後に全員が音楽に送られ先輩隊員から花を受取って会場を出て行きました。

この飽食の時代に、人のために役に立ちたいと思い自ら自衛隊を志す若者がいることを大変うれしく思います。頑張れ若人達!


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春日大社式年造替 木作始式

今年は春日大社第六十次式年造替の年であり、3月1日に最初の『木作始式』が実施された。ある方のお誘いがあり20年ぶりの式に参加し貴重な体験ができた。

10時から若草山の麓にある石荒神社の前にて「荒神祓之儀」があり参加者のお祓いを行って行事が始まる。

その後、権宮司の講話を聞いた後に直会にて「ホウソウ献」と言われる食事を頂いた。これは昔から木作始式で食べられている食事で赤飯、汁物、漬物、豆腐とこんにゃくの煮物と決まっている。昔は豆腐とこんにゃくは贅沢な食べ物らしくお祝いの食事である。1丁ほどのしっかりした豆腐を食べただけでお腹一杯になった。

食事後、本殿を御参りした後、幣殿で行われた「釿(チョウナ)始之儀」を見学した。さめぎと言われる本殿の柱となる4本の材木に釿を打込み、檜皮を拭いて儀式が終わった。

20年毎に実施するため記憶に頼るわけではなく、過去からの記録に基づき古式に則って実施している。歴史と伝統を受け継ぐというのは大変なことなのだと再認識する1日であった。

帰ってから記念品を開けると「州浜台」というさめぎの残材で作られた供物台であった。


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